現代の韓国人って全く違う人種って聞いたんだが本当なの?
高句麗と百済は古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族
百済は自ら「於羅瑕」と称していたこと、、『周書』は、百済王の姓は夫余氏といってることから。
高句麗が扶余族であることは広開土王碑にそう書いてあることからもわかる
新羅は元高句麗の属国。奈勿尼師今からが史実の王とされる
斯蘆国が発展して基盤となり、新羅だけが高句麗と百済とは違う。
周辺の小国を併せて発展してきて建国された。建国神話には倭の影響がある。
統一朝鮮を作るが、のち高麗に滅ぼされる。今の韓国の原型
●新羅の言語は閉音節で発音が子音で終わる
●高句麗と百済また倭では開音節で、母音で終わっていた
魏延興二年 其王餘慶始遣其冠軍將軍?馬都尉弗斯侯 長史餘禮 龍驤將軍帶方太守司馬張茂等上表自通 云 臣與高麗 源出夫餘
先世之時 篤崇舊款 其祖釗 輕廢鄰好 陵踐臣境 臣祖須 整旅電邁 梟斬釗首 自爾以來 莫敢南顧
「臣と高句麗は源は夫余より出る」すなわち百済と高句麗は同族である(新羅とは違う)
百済と高句麗の言葉は現在の韓国の言葉や新羅を含む韓系諸語とは別系統。つまり百済と高句麗の民族自体も韓国人とは違う
— 2ちゃん的韓国ニュース : 訪日韓国人教師 「東大寺や法隆寺が韓半島により多大な手が加えられたことや、百済人が古代日本の上層部を形成したことを実感できた」
70年代、矢追純一が日テレ時代に垂れ流した有名な
「第三の選択」もイギリスのTV局が製作し4/1に放送した
冗談番組な。
あれを実は大人になるまでずっと真に受けてたやつ、
正直に手を上げろw。
248:名無しさん@12周年:2012/04/24(火) 23:22:59.19 ID:KXY9gs3C0
»237
あれ、20年くらい前だっけ?に関東圏で夜中にノーカット放送してたんだよなあ。
で、最後のクレジットにばっちりと「4月1日」って表記してある。
(当然だけど、普通は年月日なんて入れない)
あれは笑っちゃったな。
しかも矢追は本放送時に最後のクレジットをご丁寧にカットして放送してたんだよな。
255:名無しさん@12周年:2012/04/24(火) 23:32:02.22 ID:GZn9iNsd0
»248
矢追は日本の視聴者を騙すような真似を故意に行ったということ?
259:名無しさん@12周年:2012/04/24(火) 23:35:32.66 ID:ai9btTOt0
»255
そう、イギリスで放送されたときはエイプリルフールである旨わかるように
テロップが入っていた。
矢追はそれをカットして日テレ系で垂れ流した。
矢追が超常現象のビリーバーだと思ったか?実は奴自身は確信犯のデマゴーグ。
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イギリスの食糧自給率は70%を超えている。「日本は食糧自給率が低い」というのは農水省の利権確保の方便だ――なんて意見をしばしば耳にするけれど、イギリスと比較すると、たしかに日本の農業は存在感が薄い。イギリスといえば産業革命を成功させた「工業の国」であり、世界最大規模の為替取引所を持つ「金融業の国」でもある。そういうイメージが先行しがちだけど、盤石な第一次産業を持っているのだ。
ちなみに「イギリスのメシがまずい」というのは都市伝説だった。ちゃんと選べばきちんと美味しいモノを食べられます。
※Hotel ibis Earl’s Courtの朝食
※スコティッシュレストランで食べたウサギ肉のパイ
※翌日に食べた鹿肉のロースト
※ただし――余談だけど――日本人と「味覚の違い」はあるかも。中途半端に甘く煮た豆料理が私はどうしても好きになれなかった。日本人ならお汁粉とかふじっこのお豆さんとか、とにかく豆を甘く煮る。あるいはインドのひよこ豆のカレーや、テキサスのチリコンカルネのようにスパイシーに調理された豆料理もたいへん美味だ。しかしイギリス人は豆をぼんやりとした甘さに煮るのだ!
"洋ゲーの主な消費地となっている欧米では、「大人」は大きな自由と責任を持っている。だから物語の主人公にしやすいし、大冒険をすることにも説得力がある。それに対して日本では、大人よりもティーンエイジャーのほうが自由だ。日本では30代で定職に就かずふらふらしているのは恥ずかしいことだとされてきた。私たち20代以下の人間からすると信じがたいけれど、世間的には「大人は定職について働くモノ」という価値観がいまだに根強く残っている。この「大人観の違い」が、マンガ・アニメとハリウッド映画との違いを生み、ゲームにおける「登場人物の年齢」の違いを生んだ。
行ったこともない国のことは分からないけれど、たしかにイギリスの人たちはのんびりとした生き方をしていた。バスや電車が遅れるのは当たり前、迎えのタクシーは約束の時間の10分後に来る。なんて素晴らしいのだろうと思った。機械時計でも江戸の街の半鐘でもいいのだが、私たち一般人が時間に追われて生活するようになったのは、ここ数百年にすぎない。数万年という人類史からすればつい昨日のことだ。
イギリスではサービス残業はおろか、そもそも残業すること自体が異常事態だという。そういえば北京もそうだったな。必要以上に時間に追われない働き方を見て、これこそ「人間らしい仕事」だよなぁと私は思った。それをネット上でつぶやいたら、米国の友人からは「ヨーロッパ人は“人生を楽しむ”ことをよく理解しているのよ」とリプされた。
そういう米国人だって、日本人に比べればずっと自由で自律的な生き方をしている。30歳手前でふらりと会社をやめて、大学に行き直したり日本に留学したり――そんなボヘミアンな人ばかりだ。ヨーロッパの小国出身の知人(アラフォー超絶イケメン)は、40歳手前で会社を辞めて京都へと語学留学、いまは沖縄でカフェを開いている。彼らを動かしているのは世間体や常識ではない。自身の価値観だ。自分の人生に自分で責任を負っているからこそ、そういう自律的で主体的な判断ができるのだ。
ハリウッド映画やゲームでは、成人した青年が主人公に選ばれやすい。20代半ばから30半ばにかけてが一番多いように見受けられる(※データはまだないです。ヒット作を対象にどなたか調べてみてください)。それは欧米ではその年代がいちばん「冒険にふさわしい年頃」だからではないだろうか。酒や恋愛などの「大人としての楽しみ」を制限されず、どこに行くのも、なにをするのも自分個人の責任。それが欧米における大人像だ。一言でいって欧米の大人たちは「自由」なのだ。
それに対して日本人はどうだろう。
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